12月22日(2016)に

新潟県糸魚川で火災が発生しました。

フェーン現象が一因となったようで

150戸を巻き込む大火災となってしまいました。

死者が出なかったのは奇跡的です。

心よりご心配申し上げます。

オランダでも昔は大火事が



オランダのアムステルダムのほぼ中心部に

Begijnhof(べヘインホフ)という地域があります。

Begijn とは、修道請願をせずに

修道女らしく暮らすことをモットーとする

カトリック女子修道会のことで

hof というのは、家々に囲まれた中庭のある一区画のことです。


ここにアムステルダム市内最古の

1420年頃に建てられた

表(ファサード)が木造の家があります。

木造のファサードを持つ家は、

現在2件程度しか市内にありません。


中世アムステルダムには木造の家が林立しており、

家どうしが密着してることもあり、

大火災が相次いで起こっていました。

1521年に木造家屋の建設が禁止され、

今、目にする、レンガ造りで大きな窓を持つ

オランダ独特の家々の町並みが

だんだんと出来上がっていきました。


Begijnhofには

オランダで一番幅の狭い

と言われている家もあります

アムステルダムの喧騒の観光中に

ここを訪れ、ほっと一息つくことができます。






たった一人の日本人


意図ぜずオランダで生活を始めたのは、

日本人が一人も居ない地域でした。

英語さえろくに喋れない私は、

オランダ語を地元の地域センターまたは公民館

のようなところで習っていました。

オランダの商品ラベルさえ読めない者にとって

少しでもオランダ語を理解する必用があったのです。

突然の問い合わせ


どこで聞きつけたのか、その公民館に、

「日本人に用事があるので来て欲しい」

という依頼が来ました。

依頼主は老人ホームに入居されている一人の男性でした。

古い日本語の手紙を持っていて、

どうしても読んでもらいたいとのことでした。

高級老人ホーム


数日後、教えられた住所を訪ねると、

10階建てほどのビルが、何棟も林立している

老人ホームの地域でした。

聞けば24時間体制の介護施設で、

かなりお金持ち向けのホームとのことでした。

男性の部屋は1階(オランダでは0階)で、

ドアをノックすると、1人の女性が出迎えてくれました。


男性を訪ねたのに、女性が現れ、

オランダ語も英語すらおぼつかない私は、

何がなんだか分からず、招かれるままに中に入りました。




中には髪をキッチリ整え

小奇麗に身を整えた男性が

無表情で座っていました。

足がご不自由なご様子。


読めない手紙

会話は英語だったのですが、

ご挨拶してからいろいろ世間話をした後、

1枚の手紙を見せられました。

毛筆で書かれた草書体です。




ここではその男性をエリックさん、

女性をミランダさん (仮名)とします



エリックさんとミランダさんの年齢は

お聞きしませんでしたが、

かなりのご高齢。


ミランダさんはエリックさんの奥さんではなく、

パートナーなのだそう。

双方相手に死に別れた後、

お付き合いを始めたそうですが、

再婚はしていないそうです。


「遺産の問題とかいろいろあるでしょ、、だからこのまま。」

とか

「ここにはベッド一つしか無いでしょ。二人でどこで寝てると思う? ここよ」

とか、オランダ人は本当に開放的です。




エリックさんは幼少期をインドネシアで過ごし、

終戦をそこで迎えました。

その時、父と離れ離れになってしまったそうで、

その手紙には父の消息が書かれているのではないか

と思い、ずっと気になっていたそうです。





この地域に日本人が来たことを聞きつけ、

公民館に問い合わせをしたそうです。

オランダにはオランダ人しか住まないような

地域というのが存在するのです。

そのような地域にたまたま外国人が住むと

噂が広まるのでしょう。



その手紙は草書で書かれていて、

私にはとても読むことができませんでした。

その日はその手紙のコピーを取らせて頂き、

日本の祖母に連絡を取り読んでもらうことにしました。

明治生まれの祖母にとっては、

このような草書も軽々と読めるようで、

書かれた内容を教えてくれました。


内容は、エリックさんやエリックさんのお父さんに関係のあるものでは全く無く、

複数の日本人の在籍証明書のようなものでした。

結果を伝える

後日エリックさんに連絡を取り、

解析結果を老人ホームに伝えに行きました。

やはりミランダさんが迎えてくれて、

中に通してくれました




エリックさん、その日はスーツを着ていて、

ネクタイまで着けています。

今考えると、内容を心待ちにしていたのかもしれません。



解析結果をエリックさんに伝え、

お父様や、エリックさんに全く関係のないことが書かれていることを伝えました。

淡々と聞いていたエリックさんは、

無表情のまま、納得している様子でした。



その後、いろいろな話をしてくれました。

子供の頃インドネシアに居た時、日本兵によく殴られたこと、

エリックさんの足の麻痺も、日本兵の傷つけられたためだ

無表情のまま語ってくれました。


オランダに住み始めたばかりで、

さらに歴史的な深い知識が無い自分として、

ご高齢の障害のある方に対面し、

どう対処するのが良いのか

たいへん戸惑いました。


自分はここで謝罪することもできるが、

自分がそういうことをする立場にあるのだろうか?

ご苦労をお察しいたします、

というようなことを、かろうじて言ったように記憶しています。


帰り際、日本人をどう思っていますか? と聞きました。

エリックさんは

「もう全て終わったことで、なんとも思っていない」

と言われ、若干安堵したことを今でも思い出します。

矛盾だらけの世界



老人ホームを出て思ったのは、

オランダ人はなぜ、あの遠いインドネシアにいたのか、

そして、なぜ日本人もそこにいかなければならなかったのか

ということでした。



戦争を知らない世代が増えると、

また世界は過ちを繰り返す可能性ある。





オランダではクリスマスのサンタクロースより

12月5日から6日にかけての

シンタクラースのほうが

盛大に催し物が行われます。


シンタクラースのお供の

黒んぼピーター (Zwarte Piet)が年々問題になってきています。

Zwarteは、Black 黒 という意味

Piet は、Peter ピーターという意味です。


オランダに住みだして初めてのシンタクラースの日、

予備知識もなく買い物に行ったら、

あまりにも顔が真っ黒で、

目が真っ白、口が真っ赤のコントラストに

びっくりしてしまった記憶があります。


いかに美化しようとしても、

これは白人が植民地を支配していた時

黒人を奴隷や家来として使用していた

名残りです


21世紀になりインターネットも普及し

人の往来も国際的になるにつれ

「人種差別なのではないか」

という議論が活発化しています。


オランダの白人から見れば

伝統的なものでしょうが、

黒人の側から見れば

やはり良い気がするはずはありません。

最近では顔を黒以外に塗るピーターも登場しています。




スペインから船でオランダに到着した
黒んぼピートをお供に連れた
シンタクラースです



一説によると クリスマスの起源は、

12月下旬に行われていた、

古代ローマのお祭りや、

ユール (北欧語: jul、英語: yule) と呼ばれる

バイキングのお祭りに由来するらしいです。



冬至の時期は、太陽の力が最も弱くなるので、

人々には危険な季節と捉えられていて、

昼の「生者」の世界に、

夜の「死者」が侵入してくると信じられていて

人々が不安を感じる期間でした。


そのお祭りでは、若者や子供を死者に扮しさせます。

大人たちは死者に贈り物を用意して、

死者を演じる子供にプレゼントを差し出して、

死者に死の世界に戻ってもらうというものです。







キリスト教では、

冬至の頃の死者の徘徊する時期に

イエスを誕生させることにより、

希望がもたらされると意味づけるため、

この異教のお祭りを、

イエス生誕祭に組み込みます。

私達はクリスマスイブに

イエスが誕生したというイメージですが

イエスの誕生は12月24日ではなく、

9月だという説もあるようです。






時を経て、死者に扮するのは大人になり、

悪い子をムチで打ち、良い子にはプレゼントをくれる

ムチ打ち爺さん(Père Fouettard)が誕生します。

あたかも日本の”なまはげ”のようなものです。





あまりにも野蛮だということで

子どもたちの守護聖人であるシンタクラースに置き換わり、

聖者のお祭りになり、

サンタクロースに変化していきます。



1930年頃、コカ・コーラがサンタクロースを広告に登場させ、

そのイメージが現在も続いています




1951年12月24日フランスのディジョンでは

サンタクロースがクリスマスを異教化していると有罪判決を受け

火炙りにされるという事件も起きました。




戦後、アメリカの商業主義により、

プレゼントの交換が盛んになり、

今に至っています。


古代から贈り物の交換という文化が

根底に流れているのは

変化が無いようです。






オランダではサンタクロースよりも

もともとのシンタクラース(シント「聖」=ニコーラース Sinterklaas)

の行事のほうが盛んで、

毎年 12月5日 から 6日にかけて

盛大に楽しみます。


日本でクリスマスである 12月24日から25日は、

オランダでは家族を訪問しあったりして

食卓を囲みながら過ごす家が多いです。



最近では、シンタクラースがお供に連れている

黒んぼピート Zwarte Pietが

人種差別だと論議になることが多くなっています

アムステルダムでは、顔を黒く塗るのではなく、

青やその他の色に塗ったピートも

登場しているようです。





オランダには、日本には無い、

住居地域による階層や格差が存在します。


ここでは、以下のように分類してみます。

  • 庶民
  • 伝統的
  • ボートハウス
  • アパート
  • 新規開拓、都市開発、実験
  • 金持ち
  • 貧民
  • その他


庶民

画像は、オランダ郊外の

一般的な庶民の住宅です。

屋根を共有した複数の住居が

長屋のように連なっています。


デザイン性のないこのような家を、

観光で訪れた人は、

あまり見る機会はないと思いますが、

オランダ人の庶民はこのような家で生活しています。


とはいっても、

部屋の広さは日本より広く、

各部屋に温水暖房も完備されていて、

外見は統一されてても、

中は住人の思い思いに改装されていて、

とても過ごしやすくなっています。



伝統的


観光ガイドに載っているような家です

表がオランダ独特で、

横に連なっていて、各家はとても奥行きが深い形になっています。

アムステルダムでよく目にする家です

家の所有者はとてもお金持ちのはずです。

メンテナンス・コストも馬鹿になりませんが、

資産価値も高く、売る時は大抵買った時より高くなりますので、

投資目的で買う人も多いようです。



賃貸料も高いです。

学生などがこのような家を借りる場合、

ほんのひと部屋、もしくは屋根裏で、

シャワー(通常湯船はありません)も共有でしょう。


ボートハウス

伝統的な家の前の運河に浮かんでいるのが

ボートハウスです。

低地であるオランダには、

無数に運河があるので、

資材運搬用に使用していたような船を改装し、

住居として使用されています。

ボートには固定資産税がかからないので、

通常の家より安く住めるメリットがありましたが、

最近では地域によってはほぼ差がなくなってきたようです。

私の友人もアムステルダムの、ボートハウスで生活していて、

このあいだ日本からのTV取材を受けていました。



アパート


郊外に行くとオランダには団地があります。

オランダではアパートと言います。


日本では”マンション”という言葉を

安易に使いすぎですね。

海外で”自分はマンション住まい”といったら絶対誤解されます。


アパートでは、同じ間取りの住居が各層に積み重なっています。

建物によって階数は異なりますが

やはり日本より天井は高く、

ゆったり作られてはいますが、

資産としては価値はなく、庶民の住まいです。


福祉に手厚いオランダには、

老人ホームも多数あり、

介護作業の面からも、通常の老人ホームは

アパート形式のものが多いです。



新規開拓、都市開発、実験



オランダでは景観を非常に重視するため、

新規に住宅を建設する時、

厳しい基準があり、自治体によるチェックがあります。

そのおかげで新築が難しく、

伝統的な建物が残っているのですが、

一方、もっと斬新な家に住みたい、という欲求を持つ人達もいます。


一部には実験的な都市計画を行う地域があり、

モダンな住居を見ることができます。

地域中、ソーラーパネルが整備された

モダンな街もあります。



金持ち



日本にもお金持ちの住んでいる地域、

というが存在します。

田園調布、広尾、松濤、芦屋、、、

実際の所、オランダにはもっと大きな格差があります。

本当のお金持ちが住むエリアというのがあります。

例えば、デン・ハーグとかアムステルダム郊外とか、、、


そこには、本当に大きなちょっとしたお城

のような家があったりします。

お城までいかなくても、日本のレベルを超えた

素晴らしい庭がついた

広い家がそのような地域には建っています。


貧民


金持ちがいれば、貧乏人もいます。

労働者、社会的弱者、移民です。


日本でも今問題になっていて、

国際問題にもなっている移民。

オランダ人も移民がかなり居ますが、

残念ながら移民はやはり根っからのオランダ人より

不利を被ることがあるため、

どうしても貧しくなります。


移民は自分の文化を守ろうとしますし、

自分たちの社会を作りますので、

移民地域が出来ることになります。



収入も高くないため、どうしても犯罪も増える傾向にあり、

危険地帯になってしまいます。



その他(占拠運動)



通りかかった家に、この記号が書かれていれば、

それは”占拠された家”という意味。

オランダ語で Kraken, 英語で Squatting です。


オランダの住宅の税制により、

一部の金持ちが投資目的で家を買い、

空き家のまま持ち続けるため、

大学生など資金を持たないのに、

大学そばの都市部に住まなければならない人の住居が

慢性的に不足している状況が続いています。


家は空き家なのに、無駄に放置されている家に

勝手に入り込み、生活を始めてしまう運動が起こり、

先進的なオランダの裁判所は、

彼らの運動に一定の許可を出したのです。


18歳になるとオランダでは家を出て

自活するのが一般的で、

賃貸市場が飽和しているオランダでは、

若者には住居を確保するのが

本当に難しいのです。


このサインを街で見たら、

このような現実を思い浮かべてみて下さい。





オランダで初めて生活することになったら、

生活に必用な正確な情報を得る必用があります。

客観的で、全般的な生活知識が得られるのは、

アムステルダムにある 在蘭日本商工会議所 が発行している

オランダ暮らしの便利帖 です。


画像は 在蘭日本商工会議所がある Amsterdamの

World Trade Center ビルです。


以前は冊子しかありませんでしたが、

今ではネット上で PDFとして読めるようです。


基本的な統計データを始め、

入国手続き、

病院のかかり方

銀行口座の開き方など

オランダで生活するための基本情報が

すべて得られます。


日本人が全くいない地域に住む場合は、

特に必用な情報だと思います。

ぜひ参考にしたいです。


日本人は民度が高く、

とても親切で、マナーが良いなどの

記事や番組が多くなってきたように感じます。



最近では、日本人のプライドをくすぐるような、

テレビ番組もあります。

スゴいですねナントカとか、

世界の日本人ナントカとか、、

和風ナントカとか、、



たしかに日本のおもてなしの心

繊細な立ち振舞は賞賛されるものだと思います。

本当に日本に生まれて幸せです。



しかし、海外で生活している日本人、

また、海外から日本に来た外国人から見ると、

残念ながら疑問を投げかけられることもあるのです。



友人のオランダ人女性に指摘されて恥ずかしかったのは、

来日した時の経験として、

「目の前でドアを閉じられたこともある」


お店のドアを開けて出て行った前の男性が

後ろの人を全く気にしていないで

行ってしまったのを何度も見た、

と言われたことです。






ちょっとしたことなのですが、

たとえば、人混みなどで体が触れてしまった時、

欧米ではほんの少しぶつかっただけでも

一言かけます。

日本ではどうでしょう?

自分の経験では無視して行ってしまわれることが

ほとんどです。


自分の最悪の経験では、
(早い満員電車の時間帯ではあったのですが)

一時帰国中、

若いお美しい女性と改札で交錯した際

その女性は自分に

「チッ」

と舌打ちされました。

結構ショックでした。

満員電車の時間帯では

やっぱり余裕が無いのかな?




たとえば、お店のドア、

自分がドアを開けてお店を出るときなど、

後ろの人を気づかっているでしょうか?

ドアを開けて出て行く時、

後ろに女性やお子さんなどがいた場合、

ドアを開けたまま後から来る人を優先する

ぐらいの余裕を持ちたいものです。