たった一人の日本人
意図ぜずオランダで生活を始めたのは、
日本人が一人も居ない地域でした。
英語さえろくに喋れない私は、
オランダ語を地元の地域センターまたは公民館
のようなところで習っていました。
オランダの商品ラベルさえ読めない者にとって
少しでもオランダ語を理解する必用があったのです。
突然の問い合わせ
どこで聞きつけたのか、その公民館に、
「日本人に用事があるので来て欲しい」
という依頼が来ました。
依頼主は老人ホームに入居されている一人の男性でした。
古い日本語の手紙を持っていて、
どうしても読んでもらいたいとのことでした。
高級老人ホーム
数日後、教えられた住所を訪ねると、
10階建てほどのビルが、何棟も林立している
老人ホームの地域でした。
聞けば24時間体制の介護施設で、
かなりお金持ち向けのホームとのことでした。
男性の部屋は1階(オランダでは0階)で、
ドアをノックすると、1人の女性が出迎えてくれました。
男性を訪ねたのに、女性が現れ、
オランダ語も英語すらおぼつかない私は、
何がなんだか分からず、招かれるままに中に入りました。
中には髪をキッチリ整え
小奇麗に身を整えた男性が
無表情で座っていました。
足がご不自由なご様子。
読めない手紙
会話は英語だったのですが、
ご挨拶してからいろいろ世間話をした後、
1枚の手紙を見せられました。
毛筆で書かれた草書体です。
ここではその男性をエリックさん、
女性をミランダさん (仮名)とします
エリックさんとミランダさんの年齢は
お聞きしませんでしたが、
かなりのご高齢。
ミランダさんはエリックさんの奥さんではなく、
パートナーなのだそう。
双方相手に死に別れた後、
お付き合いを始めたそうですが、
再婚はしていないそうです。
「遺産の問題とかいろいろあるでしょ、、だからこのまま。」
とか
「ここにはベッド一つしか無いでしょ。二人でどこで寝てると思う? ここよ」
とか、オランダ人は本当に開放的です。
エリックさんは幼少期をインドネシアで過ごし、
終戦をそこで迎えました。
その時、父と離れ離れになってしまったそうで、
その手紙には父の消息が書かれているのではないか
と思い、ずっと気になっていたそうです。
この地域に日本人が来たことを聞きつけ、
公民館に問い合わせをしたそうです。
オランダにはオランダ人しか住まないような
地域というのが存在するのです。
そのような地域にたまたま外国人が住むと
噂が広まるのでしょう。
その手紙は草書で書かれていて、
私にはとても読むことができませんでした。
その日はその手紙のコピーを取らせて頂き、
日本の祖母に連絡を取り読んでもらうことにしました。
明治生まれの祖母にとっては、
このような草書も軽々と読めるようで、
書かれた内容を教えてくれました。
内容は、エリックさんやエリックさんのお父さんに関係のあるものでは全く無く、
複数の日本人の在籍証明書のようなものでした。
結果を伝える
後日エリックさんに連絡を取り、
解析結果を老人ホームに伝えに行きました。
やはりミランダさんが迎えてくれて、
中に通してくれました
。
エリックさん、その日はスーツを着ていて、
ネクタイまで着けています。
今考えると、内容を心待ちにしていたのかもしれません。
解析結果をエリックさんに伝え、
お父様や、エリックさんに全く関係のないことが書かれていることを伝えました。
淡々と聞いていたエリックさんは、
無表情のまま、納得している様子でした。
その後、いろいろな話をしてくれました。
子供の頃インドネシアに居た時、日本兵によく殴られたこと、
エリックさんの足の麻痺も、日本兵の傷つけられたためだ
無表情のまま語ってくれました。
オランダに住み始めたばかりで、
さらに歴史的な深い知識が無い自分として、
ご高齢の障害のある方に対面し、
どう対処するのが良いのか
たいへん戸惑いました。
自分はここで謝罪することもできるが、
自分がそういうことをする立場にあるのだろうか?
ご苦労をお察しいたします、
というようなことを、かろうじて言ったように記憶しています。
帰り際、日本人をどう思っていますか? と聞きました。
エリックさんは
「もう全て終わったことで、なんとも思っていない」
と言われ、若干安堵したことを今でも思い出します。
矛盾だらけの世界
老人ホームを出て思ったのは、
オランダ人はなぜ、あの遠いインドネシアにいたのか、
そして、なぜ日本人もそこにいかなければならなかったのか
ということでした。
戦争を知らない世代が増えると、
また世界は過ちを繰り返す可能性ある。